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語録

楽をしようとしないと、
人間は進歩しない。
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そうだ、宮司になろう

駄目太郎と長電話をした。
途中で宗教の話になった。

宗教には必要悪的な宗教と、
悪意からくる宗教があると思う。

僕の考えでは、
アニミズムは必要悪からくる宗教で、
キリスト教は悪意からくる宗教だ。

例えば交通安全のお守り。
あんなもので事故が防げるわけがない。
そんなことは言われずとも皆知っているだろう。
でもわりと売れている。
安心が必要だからだ。

キリスト教と資本主義が
親和的なのはよく知られている。
それは偶然なのか?

Change

人間にはそれぞれ性質がある。

僕は細かなことを気にしない質だし、
飽きっぽくて持続力がない。

かといってドライなのかといえば、
意外と粘着質なところもある。

どちらかというと、
ドライな風を装っていることが多い。

執着心みたいなものを、
他人に気づかれるのが嫌なのだ。

この僕の性質は直しようがない。

仕事をする上で不利になる性質も多いけれど、
自分の性質を理解して注意するしかない。

時間にルーズなので、
時間に余裕を持って行動するよう心がけたり。

仕事の詰めが甘いので、
ミスチェックを必ずするようにしたり。

自分の性質とうまくやっていくしかないのだ。

人はそう簡単には変わらないという話。

クレイズ・デイズ

何連勤してんだ……?

数えてみたら18連勤でした。

類友

同期から「辞めたい」と相談された
という話を別の同期にしたら、

「他人からそういう相談をされるってことは、
君もそういう雰囲気を出しているってこと」

と言われた。

言われてみれば……。

諦観

このブログのテーマは諦観だ。
というか、僕の人生のテーマが諦観だ。

諦観を推奨しているわけではない。

欲望に基づいて現実に抗って抗って、
それでも変えられない現実、
誰にでも一つや二つあると思う。

例えば、
僕はどんなに努力してもあの人の息子なのだ、
この現実は変えられない。

努力で変えられない現実は、
諦観と共に受け入れるしかない。

諦観とは、
現実から目を背けることじゃない。
現実を受け入れることなのだ。

しかし諦観は最終手段である。
現実を変えるために足掻いて足掻いて、
それでも現実を変えられないとき、
最後の最後に渋々受け入れることなのだ。

本当に、最後の最後に。

思考停止

何もかも投げ出したいが
投げ出すには勇気が足りない

投げ出した後の惨めさは想像に難くないし
その惨めさに耐えられるほど強くもない

心が折れるのが先か
体が壊れるのが先か

それより早く僕が強くなることを祈る

外側から見た合唱祭

舞台の上の人たちは楽しそうでした。
それを見る観客の目は好意的でした。

聞いた話から想像していたよりもよかった。
でも、もっとよくできたでしょ。

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